小山田圭吾とロッキンオン、クイックジャパンの件を90年代で括るべきではない

小山田圭吾の障害者へのうんこ食わせとバックドロップの武勇伝と、それを面白おかしくとりあげてるロッキンオンとクイックジャパンを、
“90年代という狂気”と括る輩がいるが、その振る舞いは間違っている。
90年代とはいっても小山田圭吾の記事の時は、「大河内清輝くんいじめ自殺事件」が報道されていた年なのだ、だから90年代とは言っても、
「いじめをどうしたらなくせるのか特集」なんかが組まれてた時代だ。
少年ジャンプでは「元気やでっ!」といういじめ撲滅啓発漫画なんかも連載されていて、また、ジャンプは生活指導の教師へのインタビューなんかも試みていて、少年誌としての試行錯誤なんかもあった。

そんな年に小山田圭吾とロッキンオンとクイックジャパンのあれである。
つまり奴等には「大河内清輝くん」と「障害者」は「別枠」なのである。
考え方は植松聖と同じである。人間と障害者は小山田圭吾、ロッキンオン、クイックジャパンのなかでは別なのである。
だから「大河内清輝くん自殺事件の報道」のさなかにあんな記事を平気で出せたのである。

90年代はたしかにゴミである。その時代のバラエティーを気まぐれでYouTubeで見ると吐き気すらある。
しかし、小山田らの障害者への底の無い悪意は90年代だったからと免罪されてはならない。

はっきり言って奴等は鬼畜だ。
絶対に許してはならない。